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概念とは?~こんな人たちについて考える~

広辞苑によれば【概念】とは、

〔哲〕(concept フランス・ イギリス・Begriff ドイツ)
①事物の本質をとらえる思考の形式。事物の本質的な特徴とそれらの連関が概念の内容(内包)。概念は同一の本質をもつ一定範囲の事物(外延)に適用されるから一般性をもつ。例えば、人という概念の内包は人の人としての本質的特徴(理性的動物あるいは社会的動物など)であり、外延はその特徴をもつあらゆる人々である。しかし、個体(例えばソクラテス)をとらえる概念(個体概念・単独概念)もある。概念は言語に表現されて「名辞」と呼ばれ、その意味内容として存在する。概念の成立については哲学上いろいろの見解があって、経験される多くの事物に共通の内容をとりだし(抽象)、個々の事物にのみ属する偶然的な性質をすてる(捨象)ことによるとするのが経験論の立場で、これに対立するものが経験から独立した概念(先天的概念)を認める合理論の立場。
②大まかな意味内容。
と説明されている。

【内包】や【外延】という耳慣れない言葉が使われているが、これらの言葉も広辞苑によれば次のように説明されている。
がい‐えん【外延】
(extension)
〔論〕ある概念の適用されるべき事物の範囲。例えば金属という概念の外延は金・銀・銅・鉄などである。⇔内包。

ない‐ほう【内包】
①〔論〕(intension; connotation)概念の適用される範囲(外延)に属する諸事物が共通に有する徴表(性質)の全体。形式論理学上は、内包と外延とは、反対の方向に増減する。例えば、学者という概念は、哲学者・文学者・科学者・経済学者などの学者の全種類を包括するが、学者という概念に「哲学研究」という徴表を加えると、内包はそれだけ増加し、外延は反対に減少する。内容。
②内部に含み持つこと。

概念の適用については見解の相違はないが、成立については見解の相違が存在する。この概念と同様の相違が法についても存在する。
概念といわれてもピンとこない人が多いかもしれないが、概念に内包されることが変化するとアベの「こんな人たち」や維新・村上の「あなたみたいな人のいうこと聞く価値ないですね」という発言がとびだしてくることになる。こんな政治家は理性を持たない人と呼べない連中なのであるが麻生などそれが政治家というのだからアホウと苗字を変えろと言いたい。例えるなら「今日から金以外金属ではありません」というようなもので他の金属に意識があるのならきっと「じゃぁ、俺たちは何なんだ?」と思うことだろう。このような概念の変化は、概念をア・プリオリな真理ととらえるかア・ポステリオリな真理ととらえるかで生じている。
ア・プリオリな真理ととらえる場合このような概念の変化は生じないが、概念をア・ポステリオリな真理ととらえる場合このような変化は認められる。

ア・ポステリオリな真理とは経験によってわかる正しさであり、ア・プリオリな真理とは経験に頼らずとも命題を見ただけで正しいとわかる真理であるが、この相違は何から生じているのだろうか?。
ア・ポステリオリな真理は帰納的推論から導き出されたものである。
「帰納的推論」とは、具体的な事例(一昨日も日が昇った、昨日も日が昇った・・・)から普遍的な法則(つねに日は昇る)を導き出すような推論のことを言うが、このような推論から導き出された真理を将来に関してまで適用するのは、白いカラスが存在するようにいつ主観的で不確実なものに変化してもおかしくないものであるから、変化するというのはうなずける。
他方、ア・プリオリな真理とは、経験的認識に先立つ先天的、自明的な真理であるから、演繹的推論の大前提となるものであり、演繹的推論とは「前提が正しいと必然的に結論も正しい」のであるから将来についても客観的・確実性を備えるものと言える。
このように両者の最大の相違は、過去・現在ではなく、将来についても言えるかどうかである。
明治時代「天賦人権」と訳された「基本的人権」は先天的概念であるが、戦前の日本はこれを否定していた。このような「天賦人権」を否定する日本会議の糞カルト集団の考える憲法改正がなされれば、籠池氏を見ればわかるように多くの人がいつ「こんな人たち」になってもおかしくないことを知っておくべきだと思う。

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