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大手メディアの報道は『粉飾決算』や『魔女のハンマー』みたいだ(゜Д゜)

 
借入金や費用など、現実に存在するものを隠蔽したり、商品や売上など、実際には存在しないものを存在するかのごとく会計処理する場合、『真実性の原則』に反する虚偽記載といわれる。
このような虚偽記載を通じて架空利益を計上する行為を『粉飾決算』といい、逆に利益を隠蔽した場合を『逆粉飾決算』という。
いずれも社会的に許されない行為とされているが、日本における大手メディアの報道は、政治に関して現在『粉飾決算』や『逆粉飾決算』のような記事のオンパレードである。
大本営発表以上ではないかと思う。
当時、大本営発表を信じる人も実際にいたのである。
 
 
 
 
会計における『真実性の原則』は絶対的な真実ではなく、相対的な真実を意味するといわれるが、虚偽まで真実とはいっていない。
会計でこのような『粉飾決算』や『逆粉飾決算』がまかり通れば、ホリエモンの事例をみてもわかるように、投資者の意思決定を誤らせることになる。
大手メディアは国民の意思決定を誤らせることになっても報道に真実性は必要ないと言うつもりなのだろうか?。
本当に活版印刷が発明された頃に出版された『魔女のハンマー』という魔女裁判を可能にした書物並みの酷さだ。魔女裁判では『魔女狩り人』が魔女の証明でオモチャのナイフみたいな針を使ったことを紹介したが、同様にムサシの機械で投票の細工をすれば、『魔女裁判』そのものである。
国民主権は傲慢だという連中は、金や己の保身のために『魔女裁判』のような真似を平気でできる連中だということを国民は知っておいた方が良いと思う。後悔してからでは遅いのだ…。
 

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ドラえもんに出してもらいたい道具

言ってもわからない人間というのは、期待可能性が低いことが多い。


期待可能性とは、行為の当時、行為者が適法行為をすることを期待できること。
故意・過失と並ぶ第3の責任要素と解する説、故意・過失の構成要素と解する説、期待可能性のないことを責任阻却事由と解する説などがある。
だいたい、「右の頬をぶたれたら、左の頬をさしだせ」という言葉を聞いて反論する人間は、ぶってくる人間はたいてい左の頬をさしだすことでぶつのをやめる期待可能性がないからだ。
例えば次のコラムを読んでみよう。




太田は悪だと思っていても、イジメまがいのことをやってるのがわかるだろう。
これはお笑いの人間には、相手の欠点をつくのをやめる期待可能性が低いと言ってるのと同じことだ。
チビには「背高なったなぁ」とか、ハゲには「毛フサフサやん」と言ってあげる思いやりに欠けるのだ。
我国の人民は、個人ではそうでもないが、組織になると、福沢諭吉が「そもそも我国の人民に気力なき源因を尋ぬるに、…人民はただ政府の嗾するところに向かって奔走するのみ。あたかも国は政府の私有にして、人民は国の食客たるが如し。」と述べるように、たちまち適法行為を行う期待可能性が低下する。司馬遼太郎の「手掘り日本史」には『無思想という思想』とか書いてるが実質は、国家に逆らったら、国家によって家族まで殺されるかもしれないという恐怖感が期待可能性を低下させているのだ。
肉体→欲望→他律、魂→理性→自律、この異なる源泉からすべての人間に期待可能性はあるとも言えるが、ないとも言える。
見かけや資格だけみたら、期待可能性が高そうなのに、現代の社会ダーウィニズムの利己主義の思想から、期待可能性のない人間が現代は多い。
誰かドラえもんの秘密道具みたいに『期待可能性メーター』というのを発明してくれないものだろうか?と思う。
きっと自民党や公明党や維新の政治家やその支持者は数値が低いはずだ。

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